ヨルヨム会 第4回 まとめ

最終更新: 7月28日

伊東です。

6/25、『夜と霧』をみんなで読む会(ヨルヨム会)第4回を12名の方に参加いただき、開催しました。


※企画の趣旨や背景は、こちらのブログにてお伝えしています。

※第1回のまとめはこちらに載せています。

※第2回のまとめはこちらに載せています。

※第3回のまとめはこちらに載せています。


第4回はp.71の「収容所のユーモア」から輪読を始め、p.94まで読みました。ちょうど今回はテヘランの死神の話が出てくるところまででした。この「テヘランの死神の話」と、「尋ねられたことに対して概ね本当のことを言い、訊かれないことは黙っているという原則」の話は、私が初めて読んだ時から深く印象に残っていた箇所です。今も、読むたびに本当にそうだよな〜〜〜!と唸っています。


さて、今回はみなさん、どう読んだのでしょうか?以下、寄せていただいた感想をそのまま掲載させていただきます。

• 4回目にして、とうとう「読み終わった直後に、まったく言葉が浮かばない」という状態を味わいました。たくさんの運命や分岐とその後を一気に読んだことで、自分の思考が追い付かなくなったのかな?とも思いましたが、まだ言葉にならないです。ただ、この多くの人の生死も分けたような運命や選択とその後の結末を、読む機会に巡り合えたこと(フランクルが生きて帰ってきたこと)がすごいことなのかもなぁと感じます。


• 収容所を転々と移動させられる際に、本人の意思がある程度反映される場合と、意思に無関係に翻弄される場合があり、どちらにしても生死どちらにつながっているのかを本人は知る由もないというエピソードが次々と描かれる今回の箇所は、過去3回とは異なる読後感でした。 針の穴を通すようなギリギリの選択と運命の末にフランクルが生き残り、この本を残したことは奇跡的なことだと改めて感じました。

• 前回の内容が、強制収容所の中でも平穏や感動が存在し、究極の劣悪環境の中でも幸せのきっかけ(美しい風景や、音楽との触れ合い)があるというものだったのですが、今回はそれを覆す過酷な内容が描写されていて、その落差により、心がとても揺れ動かされました。でも、フランクルがそんな状況の中でも自らが考える「人とは?」という根源的な問いを実験の形で行い、それがまた生きることの原動力になっていたのではと思いました。そして、その原動の根源にあるのが、生死の確認ができない妻への愛であったのかな?と思っています。 僕の中で、常に思い返されるのは第一回に読んだ時に読んだ「いい人は一人も帰ってこなかった」という言葉です。これから先どうなっていくのでしょう?ドキドキです。


• F(p.78)について。本書に出てくる、作者以外で印象に残る人物のひとり。「わたしは心からうれしいと思った瞬間をたった二回しか経験していなかった」その一回にあたる経験として、フランクルはFについて語る。「Fは、皿をさしだす者の顔を見ない、たったひとりの厨房係だった」。彼が保持し体現する公平さにフランクルは感動した。私は衝撃を受けた。この人物が、強制収容所という極限状態の中で、にもかかわらず、平時であっても実現しにくい「公平」というものを実践する、実践できる背景にはどういった価値観、信仰、思想があったのか、強烈に知りたいと思った。 Fは、もうひとりのフランクルだ。

• 「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ」(p.71)。自分を見失った状態とはどういった状態のことだろうか。怒りに駆られること、癒されぬトラウマに突き動かされて、同じ苦しみを他者に加えること、欲望にハックされてしまうこと、あらゆる意欲を失い行動できなくなること、手段と目的が転倒してしまっていることに気付かないこと、等々と考えるなら、ユーモアは「一服」「息抜き」して、見失った自分に呼びかけ、自分を呼び戻す手立てだろう。「毎日、義務として最低ひとつは笑い話を作ろう、と提案したのだ」(p.71)。最高の提案だ。こうした姿勢にフランクルの偉大さ(「すごさ」)が示されている。私も自分にこの義務を課そう。(ただ、この義務が目的になってしまい、四六時中冗談を言い続けてしまうは自己を見失った状態と変わらないと思うが、このとき、ユーモアによって自己を見失った人間は、何をもって自己をとり戻すか、疑問に感じた)


• 「強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう」(p.82)。自尊心、他者への敬意、主体性といったものは(このところ、これらの諸価値を「人権」という言葉に集約させて考える・考えさせられることが多い)、砂上の楼閣のように脆く、つねに注意して補修、補強をしていないと維持していけない、すぐに無に戻ってしまうと改めて認識した。


cf.納税額の低い人を「税金泥棒」と見なす社会は、どう克服されてきたか、石川敬史:

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65447

cf.奥田知志氏: https://twitter.com/tomoshiokuda/status/1280785854609321984 • 訳文について。「アウシュヴィッツの医師から、できるだけ早くアウシュヴィッツのような「かまど」のない収容所に移れるといいな、と言われていたのだが」(p.74)。前後の記述から、また歴史的知識があれば、難なく読めるところであり、ここに躓いたのは私だけかもしれないが触れておく。これは「〈アウシュヴィッツにあるような「かまど」〉が付属していない収容所」の謂で、旧版霜山訳(p.135-)を確認すると 「アウシュヴィッツにあるような「暖爐」(ガスかまど)のない収容所」とある。 • 主体性を持った人間であることと自分は運命のたわむれの対象と知ること(p.88-)。意志と運命の交錯については、引き合いに出したい中井久夫の一文があり、それが確認できたら、改めて報告したい。


回を重ねる中で、饒舌になる方、逆に言葉が出てこなくなる方、などそんな"違い"を実感できるのも、7回連続で開催しているからこそです。


最後は記念撮影。



そして、第5回へと続きます。


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