ヨルヨム会第3回 まとめ

最終更新: 7月28日

伊東です。

6/11、『夜と霧』をみんなで読む会(ヨルヨム会)第3回を13名の方に参加いただき、開催しました。


※企画の趣旨や背景は、こちらのブログにてお伝えしています。

※第1回のまとめはこちらに載せています。

※第2回のまとめはこちらに載せています。


第3回はp.47の「飢え」から輪読を始め、p.71まで読みました。今回読んだ部分は私の大好きな「豪の中の瞑想」のパラグラフも入っています。ひどい境遇の中にいながらも、夕暮れの美しさに心を奪われるというエピソードに私はまたも感動してしまい、ついつい聞きながら涙してしまいました。(今回のカバー写真はそれをイメージして選びました!)


さて、今回のみなさんの感想もとても素敵なので、いただいたもの全部ご紹介させていただきます。回を重ねる中で、みなさんの視点の変化や深い気づきとなっている様子が伝わってきます。



  • 皆さんと輪読して言語化しあったときの何かが、その後も自分の中でじわじわと育っています。ありがとうございます。「実際にどうかではなく、想いを注ぎ注がれる存在が自分の中にもてるかどうか」ということだと今日の時点では理解しました。その感覚はきっと非常時でも平時でも通用すると感じています。この本、決して楽しい文章ではないけど読み進めるのが楽しみなのは何なんだろ。今後も宜しくお願いします。


  • 今日は、自分が読んだ箇所が特にそうだったのかもしれないけれども、「人の想像力」という力は、人類の苦悩を乗り越えるために神様が授けてくれたものに違いない・・と思わず感じてしまいました。同時に、その想像力によって苦悩を乗り越えていくこととは、心の底から信頼し、愛する人の存在が支えていくのだなぁ・・と。


  • 回を重ねる毎に、本の中の世界と自分の世界との距離感や捉え方に変化があります。1回目は別世界、2回目は実は本質的には変わらない世界、3回目はものすごく一致するようでいて気を抜くと距離を置かれるような世界…といった感じで捉えてきました。


  • 日常も、今のような想像がつかなかった日々があるわけで、なんだか人って不思議だなぁとか考えつつ。この先も一人でページを進める気持ちにはなれないけれど、ヨルヨム会でみなさんと読み進めながら他の方の言葉を借りて自分の気持ちを捉えていくのが楽しみです。


  • 今回の輪読の範囲には「『生きのびる』に役立たないこと」=「どうでもいい」という精神状態にあって、どんなことが「どうでもよくないこと」であったのかを示唆する内容がいくつか例示されていたように思います。それは、戦争が終わるのではないかという希望をもたらす「政治(情報?)」、心の拠り所となる「宗教(祈り)」、労働で死ぬほど疲れて床にへたり込んでいる仲間にも見せたくなる美しい「自然」、その日のスープにありつけなくなっても楽しみたい「芸術」、そして、思いつく限り最も悲惨な状況にあっても至福を運んできてくれる「愛」といったことでした。


  • ここで挙がった事柄は平時においてはむしろ、多くの人にとっての「どうでもよいこと」側に入れられてしまいがちなものであるように思いますが、そうしたものこそが非常時には「生きのびる」を支える希望の源泉になるということは大変興味深く感じました。


  • フランクルは「繊細な被収容者のほうが、粗野な人々よりも収容所生活によく耐えた」という実感の証拠として、感受性の豊かさが内面への逃避を容易にし、致命的な精神的ダメージを受けることを防いだといった考察をしています。平時において経済的合理性等の面から「どうでもよい」側に入れられてしまうようなことでも、感受性を育て非常時の誰かの希望の源泉になることがありうるということに敏感な自分でいたいと思いました。


  • 「フランクルの語りは自分が本当の意味で判り得ない世界から生まれたもので、自分の日常に寄せて理解するのはおこがましいのでは」と思うあまり、どう読んだらいいか迷う時間が多かったですが、参加されている皆さんが受け取られたことや、「私も同じように思っていた」という言葉を聞いて、また別の姿勢で引き続き読んでみたいなと思いました。ありがとうございました。この本は、何度も読み直して色々な方向からかみ砕いてやっと少し理解できるような本(またはそうしたいと思える本)なのかなと思っています。


  • 今回読んだところは、フランクル夫人の話(*)や護送車の鉄格子の隙間から垣間見える風景がどれだけ望まれ、そして圧倒的な光景として迫って来るのかが述べられた、本書全体を通じても屈指といえる印象的な箇所である。それだけに小見出し(「もはやなにも残されていなくても」「非情ということ」「壕のなかの瞑想」といった・・・)内に、ひとつのエピソードとしてまとめられているような感じで受け止めていたが、この読み方は十全ではないと気付いた。言い換えれば、小見出しが付けられているものの、それぞれそこで語られる内容はそこで限定され、独立している(だけの)ものでなく、一連の記述を構成する部分としてある、ということだ。


  • たとえば、「内面への逃避」という小見出しで始まる文章の最初の段落に「内面的に深まる人びともいた」とある。この「内面的に深まる」状態とはどういったことなのかを示すエピソードとして、夫人の話や風景の話がなされている、ということだ。これが今回の私の発見だった(電車の中での読書など、細切れの時間を利用する読書スタイルだと、こうした初歩的な点ですら気付かないのだなと反省する機会になった)。


  • 対して、「灰色の朝のモノローグ」で述べられている、何千回も問うた疑問に「しかり!」という声がする、という個所は難解で、まだまだ私には了解しにくい。これがどう解消され、私自身に現れてくるのかが楽しみである。


  • *以前、ある本で「アクティヴ・イマジネーション」というユング派の技法のことを知ったが、 フランクル夫人の話は、この技法の具体的な、卓抜な実例なのではないかと感じた。この辺りに言及した書籍などがあれば読んでみたい。


このヨルヨム会まとめブログは、ロゴセラピーを学んでいる同学のみなさんにも紹介させていただいています。みなさんの感想が、私や、このブログを読んでくださっている方々の新たな感想や気づきにつながっていくことを実感し、そんな連鎖が起こっているという現状に私自身が驚き、喜んでいます。これも『夜と霧』の持つ力のおかげです。

(フランクル先生、ありがとうございます!)


そして最後の記念撮影。




今夜は第4回。p.71の「収容所のユーモア」からとなります。今夜も楽しみです。

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