仕事において自由な意思を持つこと

吉田です。


日立の渡辺薫さんとのリレーブログ、『実務者が語るマネジャーの仕事』の記事として投稿します。


参考:『良い目的を設定する


私たちは、いつも、可能であれば、自分の意思を通したいし、自分の意見を尊重してもらえることには安心感や喜びを感じるものだと思います。


仕事の場では、「仕事だから」という名目で、仕方なくやっていること、仕方なく自分の意見は主張しない、あるいは、そもそも仕事とはそういう「嫌なこと」を辛抱することだ・・と考えている方もいるでしょう。


それでも、自分の本当の気持ちを自分に確認してみれば、「嫌なことはやりたくない」わけですし、「本当はこうありたい」という状態が叶ったら嬉しいわけですし、「自分がやりたいこと」を優先したいというのは、人として当たり前に持っている感覚だと思います。


極端な言い方かもしれませんが、私たちは、誰しも自分が意のままに生きられることを心のどこかで望んでいるものでしょう。これを、自分が「自由に生きている」ということだと仮に名付けてみます。


私も、自分がプライベートな生活においても、仕事においても自由であることをずっと願い続けています。でも、自由に生きるには、それなりの力が必要です。経済力もしかり、それを支える様々な能力、スキル、人間関係も必要です。人が根底で願っている「自由に生きる」ことを叶えるのは、なかなかの努力が必要なことでもあるわけです。


更に、誰もが「自由に」「意のままに」生きたいという基本的な望みがあるとして、それを全員が、100%手に入れようとすると、どのような状態になるか・・・ということも考えなければなりません。


自分で働く時間を決めたい、働く場所をあちこち選べたらいいな・・と思っている人と、いつも顔を合わせて仕事をすることで、仕事がやりやすくなる、そのような働き方が望ましいと思っている人とが同じチームにいたとしたら、2人の「自由」は真っ向からぶつかる可能性があります。


私たちは、同じ時間を共有し、同じ空間、もう少し広く考えると、同じ地球の上で暮らしており、その中でできる限り、自分の「自由」を手に入れたいと思っている。当たり前ですが、その自由は、どこかでぶつかり合うわけで、私たちの自由は、誰かの不自由につながる可能性は大いにある。


このような衝突があったとき、組織の中では、もしかするとより強い権限を持った人の意思が尊重される傾向があるかもしれません。家庭の中でも力の差がある場合もあるでしょう。一般社会ではどうでしょうか?学校では?国と国の間では???


何かしらの理由で自由がぶつかり合った時、力の差で解決しようとする方法は、戦争を起こすこととほとんど同じなのではないでしょうか。誰かの自由を力で奪った上で獲得した自由は、どこかで、下敷きになった人からの反逆があるのは歴史を見れば明らかです。力による自由の奪い合いは、根本的な解決にはならないのです。


私は、息子が生まれた時に、こんな問いが浮かびました。


息子が幸せに生きることと、幸せな世の中で息子が生きることと、私は母親としてどちらを望ましいと思うのだろうか?


息子が幸せに生きることは、母親として当然望んでいることですが、後者の幸せな世の中で生きることは、その大前提であると思いました。そして、一人、幸せになるという考え方は、あまりに危うく、ある意味、辛い道のりだとも感じます。


こんな風に考えていた私は、ある時、哲学者の苫野一徳さんの講演会に参加することが叶いました。その時、苫野さんが教えてくださったことが、「自由の相互承認」という考え方でした。


詳しくは、こちらの記事をご参照ください:『<自由>と<自由の相互承認>とは


では、どうやって組織の中で、自由の相互承認を実現していけば良いのでしょう。


「自由」がぶつかり合うときの解決に必要なものは、共に納得できる「良い目的」だと考えます。なぜなら、ぶつかり合う判断、行動の中で、個々の自由をお互いに尊重し合うためには、共有する目的を基準に相互に解決策を考える必要があるからです。目的にお互いが納得していれば、きっと、何かしらの道筋が見えてくるでしょう。


チームメンバーがより闊達に、より高みを目指していけば、このような衝突は起きて当然です。各々がありたい姿、求める状態を突き詰めながら、共有した目的を基準に新たな道筋を見出すことができるならば、衝突する議論も、意義があると言えるのではないでしょうか。

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