地域の発展に貢献してきた建設業

最終更新: 2019年4月1日



前回はこのような話をしました。


今日は、建設業の生い立ちから振り返ってみます。


日本には100年以上続く老舗会社が2019年現在、3万3,000社あると言われており、そのうちに建設業が占める割合は10.7%、実数として3,559社あります。日本の中で最も古い会社は、金剛組という宮大工の会社で、1400年以上続いているという話も今ではずいぶん有名となりました。


これは私も今回勉強したことなのですが、建設という言葉は明治に入ってから作られた和製熟語で、室町時代から「普請(ふしん)」と「作事」という言葉で建設事業は行われていたそうです。


江戸時代には普請奉行という役職があり、城下や城の石垣や堀、土木や建設物の地縄張りや基礎工事、および上水道の管理をしていました。また、作事奉行は幕府直轄の建設物の造営や修理を担当する役職でした。言葉は変われど、昔から「土木」と「建築」が別の部署だったという点はとても興味深いです。


時代は明治になり、内務省に土木寮が置かれ、現代スーパーゼネコンと呼ばれる会社が徐々に立ち上がってきます。そして、第二次世界大戦後、建設業者が急増する中で建設省も設置され、登録制が敷かれていきました。





出典: http://www.mlit.go.jp/common/001172147.pdf



上の資料からも読み解けるように、第2次世界大戦後からの復興期〜高度経済成長期において、国の政策の下、地域建設業は日本全国で道路を作り、まちの基盤を整える役割を担ってきました。積雪のある地域では除雪を担い、農業中心の地域では農閑期における収入源として労働する場を提供する。地域における雇用を生み出す場、いわば経済政策として公共事業への国からの歳出が流れていました。その過程の中でいわばその地域の特性に合わせて、地域の顔となる会社として地域の発展に貢献してきたのです。


しかし、小泉政権下における財政再建による公共事業費の削減により状況は大きく一変します。倒産する会社が増加し、地域建設業の経営は一気に難しいものとなりました。


経営が難しいものとなってしまった大きな理由の一つには、「請負」という業態で仕事を続けてきていることが挙げられます。「仕事は、そもそもあるもの」という発想ではこれから生き残るには益々難しい時代がやってきます。

 

我々ジョイワークスは、5年間に渡って建設業の方々とご一緒してきました。そこで見えてきたのは、例えば、長く続く、親方と働き手のような関係性が強く、業界としてトップダウンが強いこと。そこから派生して、多くの会社で従業員は「社長はどう考えているのですか?」と言われてしまうこと。


でも事業承継で続いてきている会社が多い中で、社長になったばかりの若社長は、社員から見れば社長であっても、1年目であれば、社長1年生です。 経営コンサルタントに頼りたい気持ちになることもあると思いますが、一番足りていないのは、社長自身が自らの頭で考えて、答えを試行錯誤するための、集中できる時間と、その思考を支えるための考えるプロセスだと我々は考えています。


そこで、社長が安心して考えられるように、社長しか参加しないセミナーを開催し、共にじっくりご自身の答えを見出す時間を作ることにしました。


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