いちバトンランナーとして、次の130年へ

最終更新: 2019年1月11日

株式会社小野組は新潟県胎内市にある土木、建築各工事の設計・施工を手がける企業です。その歴史は明治21年(1888年)まで遡ることができる老舗です。ジョイワークスでは4年前から人財育成、組織開発、人事制度改革の側面からお手伝いをさせていただいています。

東京ご出張の多忙な中、6代目の小野貴史社長にお話をうかがいました。



"今" を生きる老舗企業

J(ジョイワークス):まずは創業130年おめでとうございます。この、130年以上という数字は小野社長にとってどのような意味があるかお聞かせいただけますか。


O(小野貴史社長):正確には131年目に入ったところなんですが、実は100周年もやってません。○○周年ってやってないんですよ。

実は先々代に「なんでやらないんですか?」と聞いたらですね、「我々建設業は請負という仕事なので、今年仕事があったとしても、次の年にもその仕事があるとは限らない。だから1年1年、新たな気持ちでやっていかないとけない。100年続いたからって間違いなく101年目がくるわけではない。毎年の積み重ねがたまたま100年を超えただけなのだから特にやらない」と言われました。

だから小野組は「何年経ったから喜びましょう」という気持ちより「常に先に向かっている」という会社なんです。そしてそれは今も変わってません。

ただ、私にとっては125年はひとつの節目にしたいという思いはありました。

なぜかというと、たまたま早稲田大学の125周年祭に立ち会う機会があり、「なんで半端な年なのにこんなに祝うんだ?」と思ったのです。その理由を聞いてみると、大隈重信が「人間の寿命は125年」と言っていたのが起源なのだそうです。

それによると、人は普通に生きると125年生きるように生まれてくるのですが、不摂生や病気や災いなどがあってその寿命が縮まってしまうとのことです。なので早稲田は125周年を大いに祝っていたということです。

ちなみに大隈講堂の高さも125尺(38m)なんだそうです。

それに感銘を受け、小野組も1度125周年で一つの区切りをつけ、新たな一生を生きる決意をしました。

なので、今年小野組は私の中では6年目。ジョイワークスとそんなに変わりないですよ(笑)


J:130年を超えた企業の社長だけが言える重い言葉ですね。


O:あと、私は6代目の社長ですが、いちバトンランナーです。3代目も、4代目も、5代目もそうでした。

私の使命は、次の社長がうまくに走り始めることを見届けることです。

リレー選手なので自分が一所懸命走るのは当然として、前のランナーよりも早く走ることも当然求められていますが、次の選手が活躍するような状況を作れてやっと私のゴールです。

途中でブレーキになったり、バトンを落としたりしたら大変ですよ。

企業経営には駅伝みたいな「繰り上げスタート」はないですからね(笑)

それが私の責務です。

重い責務ですよ。体重と共に(笑)

ちなみに、私の体重も130くらいです(笑)


(室内の一同、爆笑)


O:3代目があるときこう言いました「貴史や、生き仏を大事にすれば良い。死んだ仏は拝むだけで十分」

これはどういうことかというと、「祖先は大切なものだが、それよりも今生きている人たち、お客様を大切にしなさい、つまりは歴史に引きづられるのではなく、今の、最善なことは何かを考え、それを実行しなさい」ということなんですね。

こうして小野組の経営の理念は語り継がれてきました。


人と地域を「守る」から始まり、そしてこれから

J:中条祭りのことを少しお伺いしたいと思います。

中条祭りの歴史を紐解いてみると、はじめの開催は1880年だそうで、ほぼ小野組さんと同じ年数の歴史を刻んでいて、なにかのつながりを感じました。

小野社長にとって中条祭りとはどんなものですか?


O:中条祭りは小野組にとって責務です。個人的にお祭りを楽しんだという経験は1度しかありません。

小さい頃、山車をひいたんです。お菓子とかジュースを貰って楽しかった。

で、家に帰ったら「そこに座りなさい!」と言われ、こっぴどく叱られてしまいました。

小野家にとって中条祭りは主催をお手伝いするものであって、楽しむものではないんです。だから小野家の人間がその中に入って楽しんではいけないという暗黙のルールがあるんです。

それを知らずに楽しんでいたら叱られたということです。

だから隣町の新発田のお祭りに行きました(笑)

そこではゲストなので(笑)


J:もう少し地域についていおうかがいしたいと思います。


O:米沢街道の起点が中条なんです。

昔は北前船が港(桃崎浜)についたあと、荷が中条を起点にして米沢まで運ばれたという歴史があります。

中条は幕府直下の天領でもあったんです。

そのため、中条は栄えていたので、様々な文化が流入していました。

そんな時代の中、初代は小野組の原型を作ったんです。


むかしは家父長制度でした。

田んぼは長男だけに受け継がれるので、長男以外が暮らしていくのは大変でした。

仕事がない若者が町をぷらぷらしてる。

そんな人たちを集めて、公共工事と言われる、道路を作ったり、発電所を作ったり、堤防を直したりということを始めたのが初代でした。

家督を受けられない人たちの受け皿としての仕事、つまり、はっきりって人助けだったんですよね。

祖母から聞いた話なんですけど、そうやって人を集めてるので、時には頂いた予算で賄えない時があるんです。そうすると働いてくれた人達に何も与えずに帰すわけにはいかないから、自分ちの米倉から米を出して渡していたなんて事もあったみたいです。

そういう事をしないと、人は集まらないんです。

2代目の社長は社員に子供が生まれるとサラシでオムツを作って渡していたそうです。

そうやって和を保っていたんですね。

そうやって小野組はできました。


つまり、小野組はエリア(人と地域)を守るビジネスをしていました。

エリアを守るためには多少、外のことも知らなければいけない。

いままではあくまでも中を治めるために外とのお付き合いをしていたんです。

いわば、ディフェンスのビジネスを行っていました。

しかし、現代は中を治めるだけではビジネスが成り立たない。

なので、自分としては攻めているつもりはないんですけど、積極的に外へ飛び出し、様々な地域と深く連携するビジネスを推進しています。

しかし、基本的なビジネスの思想は昔からの小野組のビジネスと変わりません。

小野組に関係している方々にきちんとした生活ができるような環境を作るということです。


外に出ることはやはりチャレンジなので怖い部分があります。

地元にいると、お山の大将でいることができるんですが、お山は残念ながら風化して小さくなっていきます。

だからやはり、ディフェンスのビジネスだけではだめ。

だからといっても、攻めだけでは今度足元がぐらつくので、やはり両面必要なんだと思います。


座右の銘は「明鏡止水」「廓然無聖」

J:小野組さんの理念は「和合」というものを掲げていらっしゃいますが、小野社長が、社長という鎧を脱いで個人になったときの座右の銘がありましたらお聞かせください。


O:鎧を脱げるかどうかは別として、ひとつは「明鏡止水(めいきょうしすい)」ということをここ数年思っています。

やはり、ビジネスを行っているといろいろとあります。心がざわつくときもあります。そんな中でまともな判断をするため、平らかな心でいるということは心がけています。


もう一つは「廓然無聖(かくねんむしょう)」です。

むかしある王が様々な仏教の教えを学んだあと、「私もたくさん学んだのでそろそろ悟りをひらいても良い頃だろう」と達磨大師に言ったところ「悟りを得たいととらわれているあなたの心があるうちは悟りには到達できません」と達磨大師は答えたそうです。

「高々と広々としてとらわれのない心をもたないと悟りの境地には達しない」ということを表した言葉なんです。

いい言葉だなあって思います。


J:では、最後の質問です。小野社長にとってジョイワークスとは?一言でお願いします。


O:怖い…

(一同大爆笑)

嘘です(笑)。吉田さんに初めてお会いしたときに、なんかよくわからないですけど、良き人が素直に表現されている会社に、また素直な人が集まっている会社だなと思いました。会社っていうよりコミュニティーに近いですかね。


J:ジョイワークスではJoy of Workを達成するために、お客様、パートナー、自社を乗り越えた「We」のつながりを大切にしています。我々は小野社長もその「We」の一員だと勝手に思っています(笑)


O:ありがとうございます(笑)

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