戦略人事に転換する②:日本の人事がオペレーション中心に移行した背景
平成の時代を振り返るとバブル経済の最終局面から始まり、1991年にバブルが崩壊し、 日本企業は三つの過剰(雇用・設備・債務)(注1)の克服に取り組むことが最重要課題でした。
それからも幾多の困難な状況はありましたが、2005年にバブルの負の遺産である三つの過剰も 企業の努力によってほぼ解消されたとされています。(注2)
設備の過剰についても、過剰設備の維持費はそこで働く人々の人件費が大半を占めています。
そのため平成における人事の機能は、三つの過剰への対応が最重要テーマであったことが ここからもわかります。
「固定費の変動費化」といった言葉が流行し、正社員から非正社員の比率が加速化しました。
正社員の人件費も抑制され、これを長年続けてきた結果、 日本の人件費はもはや世界からも見劣りする状態になってしまいました。
2005年以降に過去最高益を記録する日本企業が続出し、 新しい時代を迎えようとする気配を伺うことができたときにリーマンショックが襲い(2008年)、 2013年には東日本大震災とまたしても大きな試練を迎えました。
このような環境のなかでも大きな転換を図るチャンスは何度もあったはずですが、 先延ばしされ、その結果として“失われた30年”となってしまったものと思われます。
三つの過剰の解消と幾多の困難を乗り越えるための施策を実施したから、今日があることも事実です。
しかし、それと同時に失ったものも大きいことにあらためて気づきます。
世界を見渡すと、日本における人事の変革は周回遅れではありますが、いち早く実行に移すことが肝要です。
私たち「人事が変われば、会社は必ず変わる」はずであると私は確信しています。
その企業にとって、人事のメンバー以上に会社の“人と組織を考えている人”は世界中に誰もいません。
コロナ禍で社会が大きく変わったいまこそ、人事大変革の絶好の機会ではないでしょうか。
(注1)999年度版 出典:『経済白書(平成11年度版)』内閣府
(注2)2005年度版 出典:『経済財政白書(平成17年度版)』内閣府
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