ポストコロナ時代を見据えてのマネジャーのあり方を考える①

ポストコロナ時代を見据えて、社会が動き出したことを実感しています。

今年になって、コロナ禍以前とは全く異なった人材開発・組織開発のお仕事がたくさん始まっています。

ポストコロナ時代の全容はまだはっきりしませんが、現時点で見えていることからポストコロナ時代のマネジャーのあり方を考えてみたいと思います。


本特集をスタートするにあたって、コロナ禍直前に『企業と人材』(産労総合研究所)寄稿した「脱プレイングマネジャーの時代がやってくる」の記事をもとに編集したものからご紹介します。

(掲載は2020年7月号)

本記事にて、コロナ禍寸前の問題意識を確認することから本シリーズはスタートします。



●平成という時代が求めたプレイングマネジャー


平成という時代は、バブル経済の最終局面から始まった。(平成のスタートは1989年)

1991年のバブルが崩壊によって日本企業は、三つの過剰(雇用・設備・債務)[1]というテーマに取り組むことが課せられた。

多くの企業にとって、これがマネジメントにおける最重要課題であった。

この三つの過剰は、2005年に企業の努力によって解消されている。[2] 

この間、固定費の変動費化という流れに乗り、正社員から非正社員の比率が加速化し、正社員の人権費も抑制され、日本の人件費は世界からも見劣りする状態になってしまった。


2005年頃から過去最高益を記録する日本企業が続出し、新しい時代を迎えようとする機運を実感していたが、リーマンショック(2008年)が襲い、続いて東日本大震災(2011年)と大きな試練に向かわなければならなかった。

このような環境の中でも転換を図るチャンスは何度もあったはずだ。

しかし、残念なことに先延ばしされ、その結果として“失われた30年”となってしまった。

三つの過剰の解消と幾多の困難を乗り越えるための多くの施策を企業がとったからこそ、今日があることも事実であるが、それと同時に失ったものも大きいことに気づく。

2005年に発表されたギャラップの働きがいの世界比較調査では、先進国13カ国中もう既に最下位クラスになっていた。(現在は139カ国中132位)

1980年代に“JAPAN as No.1”として世界から注目され、ベンチマークされた日本的経営の面影は、三つの過剰の解消とともになくなったといえる。


この平成という時代を支えたのが、プレイングマネジャーだったのではないだろうか。

プレイングマネジャーは、社内の相対的優秀者から選出され、課やチームの中で最も重要な仕事が担当し、それと同時に課やチームのマネジメントを行う。

プレイングマネジャーは、企業が三つの過剰と戦い、存続し続けるための最適なマネジメント体制であったのかもしれない。

[1] 1999年度版「経済白書」より [2] 2005年度版「経済財政白書」より

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